不要な感情
生きていくうえで感情って不要な機能だと感じるんですよ。
同じこと考えたことある人いるかな。
楽しい嬉しいはあった方が人生幸福を感じやすいけど、“怒”と“哀”っていらない。
本当にいらない。
疲れるだけだもん。
いっぱいいっぱい一人で考えて馬鹿みたい。
私は100%の気持ちで考えているのに、相手は10%で…みたいな。
私ばっかり考えて悲しくなったり怒りが湧いたり。
この度量の違いを感じて、そんな自分があほらしくなってくる。
こんな気持ちになるくらいなら感情なんていらない。
無心でいられたらこんな想いしないのに。
こんなに悲しくて虚しくなるなら、もう“喜”も“楽”も取っていい。
こんなこと言うと悲しい人って思われるけど、私は人のことが信用できない。
何か特別な出来事があったわけではないのに何でだろう。
小さいことの積み重ねと私の考え方が悲観的過ぎるせいかな。
どれだけ仲の良い友達でも完全に信用しきれない。
友達に対しても失礼ですよね。
相手の言動で自分の位置づけを測ります。
少しの違和感で、私の一方通行なことを察してしまう。
その違和感の解釈が合っているかもわからないのに。
言語能力が低くてごめんなさい。伝わらないですよね。
信じられるのは己だけだし、自分のことは自分で幸せにしないと。
結局は他人なんだから期待しちゃダメ。
他人に感情を注ぎすぎるとこういう時悲しくなるし。
こんな気持ちになるなら最初から一人でいいやって思っちゃうんですよね。
こうしてもっと卑屈になるし、孤独を極めています。
友達に親のような絶対的な繋がりを求めすぎているんでしょうね。
何かあっても途切れることはないような繋がり。
所詮他人なのにね。
私ってかなり友達が少ないんですよ。
親友レベルの友達数人それ以外はみんな他人みたいな。
その友達以外との壁がめちゃくちゃ厚い。
職場や学校でも一匹狼って言われることあったけど、気遣ってその場つなぎの会話しなくていいし、それなら全然沈黙でいい。
無理して話すとお互い疲れちゃうじゃん。
友達作りに行ってるわけじゃないんだし、生活や業務に支障がなければそれでいい。
考え方や交友関係がかなり極端だからこそ、心を許した友達には感情を注ぎすぎているんだと思います。
これを依存って言うのかな。
私友達に依存してたんだ。
みっともないし、一人でじたばたして馬鹿らしい。
私も誰かにこういう思いさせてるのかもしれないのに。
我ながら、被害者ヅラだけは一級品です。
今日はちょっと悲しいことがあったから自分の今の気持ちを分析しながら、文字に起こしてみました。
この感情を相手にぶつけたところで良い方向に動くとは思わないし。
言いたいことはたくさんあったけど、深呼吸しながらこのブログに書き殴っています。
ブログを初めて2週間ほどですが、ストレス発散方法の一つになりました。
自分の気持ちを言語化させるって大切かも。
自分を客観視できるし、どれだけ自分勝手でつまらない人間かがわかる。
そんなこんなで、今日はこのあたりで。
寝たら忘れていますように。
今日はゆっくり湯船につかろう。
皆さんも無理しすぎず、ため込まないように。
布団に包まって発狂するのオススメ。
ではまた明日。