追っかけが人生のテーマ
皆さんこんにちは。
私は長年追っかけをしていました。
具体的には高校2年生~大学3年生までV系バンドマンの追っかけをしていました。
V系バンドのファンのことを「バンギャ」といいます。
今日はバンギャだったころの資金繰りについてお話します。
高校生の頃は、居酒屋とスーパーの総菜コーナー掛け持ちをして働いていました。
私はド田舎出身で最低賃金もかなり安かったです。
当時は\840だったかな?今じゃ考えられない金額です。
とにかく空き時間はアルバイトを詰め込んでいたため、勉強はテスト前に徹夜で詰め込むような生活でした。
普通の高校生もこれくらい働いている人いっぱいいますよね。
人生のテーマが追っかけとなるのはこの後です。
大学生になり、自由が増えると私のバンギャ魂により火がつきます。
私は文系の4年制大学で時間もあり、サークルも入らなかったため自由時間は全てアルバイトに充てていました。
学校終わりは夜の1時まで飲食店で働き、週末や午後から授業の日の前日はカラオケ店で12時から朝9時まで働いていました。
長期休みの期間は、12時~21時飲食店、24時~9時カラオケで働いていました。
2.3日に一回はどちらかのバイトにお休みがあったのでその空き時間に寝る生活をしていました。このころが一番働いていて、最高月に30万円稼いでいたと思います。
今この生活には絶対戻れません。がむしゃらでした。
洗い物で手が乾燥しすぎて踵のようにガザガザになっていました。ハンドクリームを塗っても追いつきません。
疲れすぎて立ったまま眠ることはよくあったのですが、疲労の限界が来た日がありまして。
それは推しの誕生日の日でした。
その日はお休みを取り、誕生日ケーキも予約して本人不在の誕生日会をしようと楽しみに3日眠らず働いていました。
やっと当日を迎え、バイト終わりに買出しへ行き、お風呂に入ってから準備するつもりが玄関で生き倒れたように眠ってしまいました。
起きたら夜の11時でケーキも取りに行けていない、買出しの冷凍食品やアイスもドロドロに溶けて、湯船も貯めっぱなしで水道が止まっていました。
めちゃくちゃすぎて自分でも呆れます(笑)
節約もかなり意識していたため、コンビニでプリンを買うのに10分悩むこともあったし、遠征先に家からおにぎりを持って行き、食費を浮かせていました。
交通費を一番抑えたかったので新幹線はあまり乗りませんでした。夜行バスと高速バスの乗り継ぎは当たり前で、バスから降りたくないとすら思っていました。降りてしまえばバイトが待っているので。
こんな生活を数年続け、ライブやイベントは年間80~90回ほどありましたが3分の2は参加していました。楽しいバンギャライフでした。
好きなことへの行動量は自分でも凄まじいと感じます。他のことはからっきしなのに。
この頃は、追っかけが人生のテーマでした。
あなたがいればあとは何もいらない!という盲目ぶりでした。若い。
これだけ夢中になれるものがあったってすごいなと人ごとのように思います。
このように3年ほど全力で追っかけていたのですが、ある日当然活動休止の発表がありました。時が止まるってこういう感覚なんだと体感しました。
ですが、心の中で少しだけホッとした部分があって。
長く通っているとどうしても義務感が生じてきます。「行きたい」より「行かないと」の気持ちが強くなってくるんですよね。好きは好きなんですけどね。
わかっていただける方いると思う。
そんなこんなである日当然バンギャライフが終了してしまいました。
今も復活はしていないけど、曲も聞くし久しぶりに会いたくもなります。
でも当時ほどがむしゃらになることはないと思います。
またステージに立つかっこいい姿が見たいという感覚です。再熱するのかな。
最近別のバンドのライブに行ったのですが、やっぱりヴィジュアル系っていいなと改めて思いました。
楽しかったけど、推しだったらここは違う言い方するだろうなと比べてしまいました。
今でも私の中に根強く残っているんだな。嬉しいような寂しいような。
当時のことを思い出して懐かしい気持ちになりました。
青春が詰まっているあの空間大好き。
たまには行こうかな。
今日はバンギャ時代の思い出についてお話してみました。
読みにくくて申し訳ないですが、少しづつ精進していきます🙇
ではまたの投稿で。